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沖縄音楽の話 2022.04.17

沖縄三線にはなぜ蛇(ニシキヘビ)の皮が張られている?│蛇皮が使用され続けた理由を解説

 

沖縄観光や沖縄料理のお店、テレビなどで沖縄の楽器・三線(さんしん)を目にする機会があります。

 

三線といえば、「沖縄の人々の生活に欠かせない楽器」「沖縄に古くから伝わる楽器」などのイメージがありますよね。

 

そしてなんといっても特徴的なのが、胴に張られている蛇の皮です!

 

沖縄にはハブが生息していることは有名ですが、三線にはニシキヘビの皮を使用しています。

 

ではなぜ沖縄には生息していないニシキヘビの皮を伝統的な楽器に使用するようになったのでしょうか。

 

そこで今回のブログでは、三線に蛇(ニシキヘビ)の皮が張られている理由について解説します。

 

三線(さんしん)とは?

 

三線の特徴

 

 

はじめに、三線の特徴について簡単にご紹介しましょう。

 

三線(さんしん)とは、その名の通り3本の弦を張った弦楽器です。

 

胴には蛇(ニシキヘビ)の皮が使用されています(日本の伝統楽器・三味線は胴に猫や犬の皮を使用します)。

 

一般的には右手にバチを付けて弾きますが、ジャンルによってはピックや爪などで弾くこともあります。

 

 

なんとなく三線を弾く人は歌わず三線だけを演奏するイメージがありますが、実際には三線の独奏曲はほとんどなく、大方が歌を伴い、弾き歌いの形で演奏します。

 

沖縄音楽の中で三線は、歌を支える伴奏楽器としての役割をもっています。

 

三線が演奏されるシーン

 

桐谷健太の「海の声」やビギンの「島人ぬ宝」などで三線を弾きながら歌っているシーンを見たことがある方も多いと思います。

 

ご存じのように、三線は沖縄音楽風にアレンジされたポップスによく使用されています。

 

沖縄では民謡や古典音楽などの演奏に用いられ、これら沖縄の伝統音楽で伴奏する琉球舞踊、組踊、エイサーなどでも聞くことができます。

 

また沖縄とは奏法が異なりますが奄美の民謡にも使用されています。

 

※三線(さんしん)の始め方は?楽器初心者にもおすすめの理由を紹介

 

三線のルーツ

 

それでは次に、三線に蛇(ニシキヘビ)の皮が張られるようになった経緯をみていきましょう。

 

そのヒントは三線のルーツとなった楽器にあります。

 

以下で三線の伝来の経緯を解説していきましょう。

 

三線のルーツは、中国の楽器「三弦(サンシェン)」だといわれています。

 

三弦は胴にニシキヘビの皮が張られていて、見た目は沖縄の三線にそっくりです。ただし大きさにバリエーションがあり、大三弦・中三弦・小三弦の3つがあります(大三弦は日本の三味線よりも棹が長い)。

 

明代(1368~1644)の中国の都市部で親しまれ、語り物や劇音楽に使われるようになり、家庭音楽として嗜む人もいたといいます。

 

三弦の音楽を親しんでいたのは主に中流の都市民や上流の文人だったそうです。

 

※三線(さんしん)の歴史とルーツを紹介│沖縄にいつごろ伝わった?

 

三弦の伝来と「三線」の登場

 

中国の「三弦」が沖縄にいつ伝わって「三線」になったか。これを示す資料は現在のところ存在していません。そのため伝来の時期や経緯については推測の域はでません。

 

伝来の時期について推察するために14世紀末の琉球と中国の動向に注目してみましょう。

 

琉球は1372年に中国の朝貢国となり、以後、中国とのパイプが太くなっていきます。

 

1392年には中国が琉球に福建省の人々(「閩人三十六姓」と呼ばれています)を派遣しました。

 

福建省から渡ってきた人々は、中国と琉球を往来するための航海・造船の技術をもち、また外交文書の作成や通訳、交易などを担い、琉球の発展を支えました。

 

彼らの中には帰化人として琉球に永住する者もいて、しだいに那覇の港の付近に華人が集まり住む「久米村」が形成されます。

 

この久米村は琉球に中国文化が流入する窓口となっていきました。

 

先ほどお話ししたように明代の中国の都市民の間には三弦が浸透していて、それは福建省も同様でした。

 

このような理由から、14世紀末~15世紀頃、福建省から琉球に渡ってきた人々が三弦を携行し、久米村を拠点に福建の三弦音楽が琉球に持ち込まれたと考えることができます。

 

そして15世紀の間に、琉球の士(さむらい)たちの間に三弦が琉球化した「三線」が広まり、琉球在来の歌を伴奏する楽器として饗宴の音楽や芸能の伴奏を担うようになったとみられます。

 

以上のように「三線」のルーツになった楽器「三弦」が蛇の皮を張った弦楽器だたっため、三線には蛇皮が使用されるようになったのです。

 

三線に蛇皮が使用され続けた理由

 

さてここでいくつか疑問が浮かんできます。

 

「中国から三弦が伝わり沖縄で三線が誕生したことまでは理解できたけど、沖縄には生息していないニシキヘビの皮はどうやって手に入れたの?」「沖縄にあるもので代替しなかったの?」

 

このように思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

「三線」が誕生してからも継続的に蛇皮が使われ続けた理由には次の二つが考えられます。

 

①楽器と一緒に演奏を嗜む人も渡ってきた

 

一つ目の理由は楽器だけでなく演奏を嗜も人も渡ってきたからです。

 

先にご説明したように、沖縄には福建省の人々が集まり住む久米村がありました。

 

彼らは長きにわたって定住し、なかには三弦音楽を娯楽として楽しむ者もあったといわれています。

 

つまり楽器と一緒に演奏する人々も沖縄に渡ってきたわけです。

 

「三弦」が異国の珍品として物だけ渡ってきたなら本来の音色に触れることはできません。ですが、当時の琉球は中国の人々の演奏する「三弦」の音色を耳にすることができる環境だったのです。

 

そのため、あえて胴の材料を変更してなじみのある「三弦」の音色を変えるという発想には至らず、「三線」にも同様に蛇皮が使用されたと考えられています。

 

②久米村の人々は高価な輸入品を入手できた

 

二つ目は久米村の人々は高価な輸入品を入手できる立場にあったからです。

 

久米村の人々は進貢貿易に携わる士でした。そのため「三線」が誕生した後も、引き続き蛇皮を輸入し続けることができたと思われます。

 

 

 

以上、今回のブログでは、三線に蛇(ニシキヘビ)の皮が張られている理由について解説しました。

 

皆さんの三線ライフにお役立ていただければ幸いです。

 

 

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