こんにちは!!
三線教室の栗山です(*^^*)
このブログではこれまでに、沖縄音楽の歌詞の形式として「琉歌」と「仲風」をご紹介しましたね♪
今回のブログでは、「口説(くどぅち)」という詩形についてご紹介します!!
「口説」といえば、「上り口説(ぬぶいくどぅち)」という曲が有名です(*^^*)
まずその歌詞をみていきましょう♪
【上り口説】
一、旅の出じ発ち 観音堂 先手観音 伏せ拝でぃ 黄金酌取てぃ立ち別る
(たびぬんじたち くわぁんぬんどー しんてぃくわぁんぬん ふしうぅがでぃ くがにしゃくとぅてぃたちわかる :七・五・七・五・七・五、以下同じ)
歌意:旅発ちには、首里の観音堂で先手観音を拝んで 黄金の酌を交わして立ち別れる
二、袖に降る露 押し払ひ 大道松原 歩み行く 行けば八幡 崇元寺
(すでぃにふるちゆ うしはらい うふどーまちばら あゆみゆく いきばはちまん すうぎいじ)
歌意:袖に降る朝露を払って、大道の松並みを通り 安里八幡や崇元寺を通り過ぎる
三、美栄地高橋 うち渡てぃ 袖ゆ連にてぃ 諸人の 行くも帰るも 中之橋
(みいじたかはし うちわたてぃ すでぃゆちらにてぃ むるふぃとぅぬ いくむかいるむ なかぬはし)
歌意:美栄地の橋を渡って多くの人々が往来する中之橋を渡って
四、沖ぬ側までぃ親子兄弟 連りてぃ別ゆる 旅衣 袖とぅ袖とぅに 露涙
(うちぬすばまでぃうやくちょーうでー つぃりてぃわかゆるたびぐるむ すでぃとぅすでぃとぅにつぃゆなみだ)
歌意:沖(臨海寺)の側まで親子兄弟が連れて分かれる旅衣 その袖と袖とに露のような涙
五、船ぬ艫綱 疾く解くと 舟子勇みてぃ真帆引けば 風や真艫に午未
(ふにぬとぅむぢなとぅくどぅくとぅ ふなくいさみてぃまふひきば かじやまとぅむに んまひちじ)
歌意:船の艫綱をいそいで さっと解いて水夫が勇んで帆を張ると 風は追い風の南南西の風
六、又ん巡り逢う 御縁とぅてぃ 招く扇や 三重城 残波岬ん 後に見てぃ
(またんみぐりおう ぐいんとぅてぃ まにくおーじや みいぐしく ざんぱみさちん あとぅにみてぃ)
歌意:またお会いできるようにと 三重城の上で扇が振られ はや残波岬も過ぎて行く
七、伊平屋渡立つ波 押し添いてぃ 道ぬ島々見渡しば 七島渡中ん 灘安く
(いひゃどぅたつなみ うしすいてぃ みちぬしまじまみわたしば しちとぅとぅなかん なだやしく)
歌意:伊平屋島近海の荒波を渡り切り 奄美諸島を見渡しながら 危険な七島灘も平安で
八、燃ゆる煙や 硫黄ヶ島 佐多ぬ岬ん走い並ならで エイ あれに見ゆるは 御開聞 富士に見紛う 桜島
(むゆるちむりや ゆおーがしま さだぬみさちん はいならでぃ ありにみゆるわ うかいむん ふじにみまごうさくらじま)
歌意:燃える煙は硫黄島 佐多の岬も順調に走り過ぎ あれに見えるのは開聞岳 富士山に見紛うほどの桜島
このように歌詞は、琉歌の八六調ではなく、本土の七五調を連ねた形式になっています。本土系盆踊りの口説をもとに三線の手づけがなされ、レパートリーとして定着していたといわれています。
歌詞の内容は、王国の命により外交や連絡のために薩摩へと出張する官僚が、首里を発って薩摩へ到着するまでの道行を歌ったもの。
近世の沖縄では薩摩へ行くことを「上国」と言いました。「上り」とは、そのことをあらわしています。
ところが「上り口説」はただの情景描写の曲ではないんです。
歌われた言葉は現実化するという「言霊」の考え方に基づき、
航海が順調に行われる姿を描写することで、
航海の無事を祈り
旅立つ人を祝福する
という意味をもっています!!
(薩摩への船旅は風が順調であっても3日以上かかったといいます)
将来を祝福する意味をもったこの曲は、めでたい席でよく演じられています。
「口説」は、歌詞の一つ一つをのばすのではなく、歯切れよく語るように歌われるので、物語や情景を思い浮かべたりするのに適しています。
「黒島口説」などのように村々の風光を歌ったたくさんの「口説」が作られています♪
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