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『琉球三味線宝鑑』とは|池宮喜輝が9440丁を調べた三線の記録

こんにちは。
栗山新也沖縄三線教室の栗山です(*^^*)
沖縄の三線の多くは、沖縄戦の戦火で失われてしまいました。
けれども、戦前に海を越えて遠い国まで渡っていった三線は、その被害を免れました。そうした海外の三線を一丁ずつ訪ね歩き、記録に残そうとしたひとりの音楽家がいたことを、ご存じでしょうか。
古典音楽の大家・池宮喜輝です。池宮は戦後、なんと9440丁もの三線を調べ上げ、『琉球三味線宝鑑』という一冊にまとめました。失われた記録をよみがえらせようとした、とても貴重な仕事です。
沖縄からハワイや北米へと渡っていった三線が、なぜ沖縄音楽の歴史にとって大切なのか。今回は、その背景もあわせて、ゆっくりひもといていきましょう。
調査を行った池宮喜輝とは
まずは、この調査を行った人物についてお話しさせてください。
池宮喜輝(1886〜1967)は、那覇市若狭に生まれた、琉球古典音楽の大家です。1906年に野村流の我謝秀益に師事し、1924年に創設された「野村流琉球音楽協会」では副会長を務めました。
それだけではありません。同じ1924年には那覇市議会議員に、1929年には沖縄県議会議員にも当選しています。音楽の世界だけでなく、政治の場でも活躍した方だったんですね。沖縄の文化と社会の両方をよく知る池宮だったからこそ、のちの大きな調査も実を結んだのだと思います。
調査のきっかけ|一度は失われた「首里城の記録」
実は池宮には、戦前にも三線を調べた経験がありました。その思い出が、のちの大調査につながっていきます。
1939年6月、首里城の南殿で、三線の供養祭と展覧会(三味線祭)が開かれました。このとき池宮は、世礼國男という方とともに、集まった名器を一丁ずつ手に取り、ていねいに記録を残したそうです。
ところが、その記録を保管していた世礼さんが戦後に亡くなり、記録もいっしょに失われてしまいました。せっかくの調査が、跡形もなく消えてしまったのです。さぞ心残りだったことでしょう。
そんな池宮に、思いがけない機会が訪れます。1951年のことです。ハワイと北米の音楽団に招かれ、北米に4か月、ハワイに7か月と、長く滞在して音楽を指導していました。そのとき、戦前にハワイの島々へ渡った三線が、なんと4000丁も残っていることに気づいたのです。
あの首里城での調査と、失われてしまった記録のことが、池宮の頭をよぎります。「この千載一遇の機会を、逃してはならない」。こうして池宮は、もう一度、三線の記録を残そうと決意しました。さっそく現地の音楽団に協力を呼びかけ、調査を始めたのです。
沖縄移民と三線の深い関係|なぜ海外に4000丁も?
それにしても、なぜハワイにそれほど多くの三線があったのでしょうか。ここには、戦前の沖縄移民の歴史が関わっています。
戦前、たくさんの沖縄の人々が、大切な三線を抱えて海を渡りました。移り住んだ先で、故郷を思って沖縄の三線を買い求めた方も少なくありません。遠い異郷で、三線は沖縄とのつながりを感じさせてくれる、心の支えだったのでしょうね。
そして、ここに歴史の皮肉があります。沖縄本島にあった多くの三線は、戦火で失われてしまいました。けれども、移民の方々が海外へ持っていった三線は、その被害を免れたのです。だからこそ、海を渡った三線を調べることが、戦前の三線文化を知るうえで、とても大きな意味を持っていました。
9440丁を調査
調査が始まったのは、1952年の1月です。
場所はハワイを中心に、ロサンゼルス、ペルー、関東(東京・川崎など)、関西(大阪・尼崎・奈良など)、そして沖縄本島まで、本当に広い範囲に及びました。各地では、その土地の野村流の師範や教師が、審査委員として協力してくれたそうです。池宮ひとりではなく、信頼できる専門家たちの目で確かめていったんですね。
この調査には、ひとつ大きな特徴があります。それは、三線をいっさい弾かず、見た目と作りだけで見ていったということです。棹に使われた木材や、継ぎ目の有無、楽器全体のバランス、仕上げの精度といった「作りそのもの」を、専門的な目でひとつひとつ細かく確かめていったのです。職人の手仕事を見抜く、専門家ならではの調査だったといえますね。
こうして調べた三線は、なんと全部で9440丁。そのうち、合格したのは、わずか363丁でした。
9440丁のなかから363丁ですから、どれほど厳しい目で選ばれたかが伝わってきます。なかでもハワイの三線が232丁と、合格したうちの大半を占めていました。海を渡った三線が、いかに多く残されていたかがわかりますね。
この記録は、1954年に『琉球三味線宝鑑』(東京芸能保存会)としてまとめられました。一丁ごとの素性を書き留めたこの本は、いわば名器の「戸籍簿」とも呼べる一冊なんです。

『琉球三味線宝鑑』が残してくれたもの
この本は、いま残っているなかで最も古い、三線の資料集として知られています。この時代に9440丁もの三線を調べ、こまやかな記録を残せたことは、沖縄音楽の歴史のなかでも、本当に大切な財産です。
一度は首里城での記録を戦争で失った池宮が、海を渡った三線を訪ね歩いて、もう一度記録を残しました。そのあきらめない思いがあったからこそ、私たちは今、戦前の三線文化の姿を知ることができるのです。
三線への思い入れの強い方が多かったでしょうから、見せていただくことすら、簡単ではなかったはずです。それでも多くの方が大切な一丁を差し出したのは、古典音楽の大家として信頼されていた池宮だったからこそでしょうね。
私も三線を教える者として、この記録から多くを学ばせていただいています。池宮が遺してくれたこの一冊があるからこそ、先人たちがどのような三線を手にしていたのか、本来なら知るすべもないことを、いまも具体的にたどることができるのです。
まとめ
池宮喜輝による9440丁の調査と『琉球三味線宝鑑』は、戦火で記録を失った沖縄にとって、戦前の三線文化をたどれる貴重な手がかりです。首里城で一度は失われた記録を、海を渡った移民の三線からよみがえらせたこの一冊は、いま残るなかで最も古い三線の資料集として、現代の私たちに大切なことを伝えてくれます。三線がどのように作られ、受け継がれ、記録されてきたのか——その歴史を知る入り口として、ぜひ心にとめておきたい仕事です。
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