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沖縄音楽の話 2019.05.05

かつて約1万丁の三線を調べた人がいた!

かつて約1万丁の三線を調べた人がいた!

 

みなさんこんにちは♪

 

今日は、これまで最も多くの三線を調べ歩いた方のお話です。

 

表題にも書きましたが、なんと1万丁近くの三線を調べています。調べたのは、、、古典音楽の大家・池宮喜輝(いけみや きき)という人物です。

 

池宮氏は1950年代初頭に調査を行っています。

 

池宮氏によれば、1951年、沖縄音楽の指導を目的に北米とハワイに滞在した際、ハワイに4千丁もの三線が渡ったことを知り、これが調査のきっかけになりました(戦前に首里城で三線の記録調査を行ったが、その記録が消滅した。

再び記録調査を行うチャンスだと思ったと、その動機を記しています)。

 

北米やハワイには戦前に沖縄からたくさんの方が移民していました。

 

移民たちは、渡航の際に三線を携行したり、移民したのちに沖縄の貴重な三線を買い集め、たくさんの三線が移民・出稼ぎ地に渡っていきました。

 

沖縄にあった三線の多くは戦争で焼失しましたが、移民や出稼ぎが持ち出した三線は戦火を逃れました。そこで沖縄の外にある三線を主な対象とした三線の記録調査が着手されたのです。

 

調査は1952年1月に開始されました(終了時期は不明です)。対象地域はハワイ、ロサンゼルス、ペルー、関東(東京都、神奈川県川崎市など)、関西(大阪府大阪市、兵庫県尼崎市、奈良県奈良市など)、沖縄本島で、各地では古典音楽野村流の師範や教師が審査委員として協力しました。

 

審査方法は各審査委員立ち会いの上、三線の弾奏は一切せず、①用材(クルチであること)、②継ぎ木の有無、③全体の均衡、④壓点の波状の有無、⑤心の削り方やノミ型、の五つの基準をもとに合否を決定していきました。

 

審査した三線の総数は9440丁にも上り、このうち合格した362丁(ハワイ232丁、ロスアンジェルス2丁、東京方面5丁、大阪方面38丁、沖縄本島85丁)を掲載した図録『琉球三味線宝鑑』(東京芸能保存会、1954年)が刊行されました。

 

 

 

合格した三線だけしか記録が残らなかったのは大変残念ですが、この時代にこれだけ広い範囲で多くの三線を調査しデータを残したことはたいへん大きな功績です。

 

これによって移民・出稼ぎ地にどんな三線が渡っていたのか、どんな人が所有していたのかなど、その一端をうかがい知ることができます。

 

人々の三線に対する思い入れは強く、所有している三線をみせてもらうことはそう簡単ではありません。古典音楽の大家であった池宮氏だったからこそ、各地で三線の所有者や演奏者たちからこれだけの調査協力が得られたのではないでしょうか。