戦後沖縄の三線9440丁を調査|その記録と歴史的価値
こんにちは。
三線教室の栗山です(*^^*)
今回のブログでは、沖縄の三線文化を語る上で、欠かすことのできない大切な調査をご紹介しますね。
古典音楽の大家・池宮喜輝先生が、9440丁もの三線を調べ上げた記録です。
調査のきっかけ
1951年、池宮氏が沖縄音楽を教えるためハワイと北米を訪れたとき、驚きの事実を知ります。
ハワイだけで4000丁もの三線が存在したのです。
戦前、首里城で作成した調査記録は戦火で失われていました。
そこで池宮先生は、この機会に新たな記録を残そうと決意したそうです。
海を渡った三線たち
実は、戦前の沖縄からの移民の歴史と三線には、深い繋がりがあるんです。
戦前、多くの沖縄の人々が大切な三線を持って海を渡りました。
移民した後に沖縄の三線を買い求めた方も少なくありません。
皮肉なことに、沖縄本島の多くの三線が戦火で失われてしまった一方で、移民の方々が海外に持ち込んだ三線は免れることができたんです
そのため、海外に渡った三線の調査は、沖縄の音楽文化を理解する上でとても重要な意味を持っていたんです。
綿密な調査活動
1952年の1月から、池宮氏は大がかりな調査を始めました。
場所はハワイ、ロサンゼルス、ペルー、それに日本の関東や関西、もちろん沖縄本島まで。
本当にたくさんの場所を回ったんです。
三線を見る時は、まず棹がクルチ(黒木)で作られているかを確認します。
それから継ぎ木があるかないか、全体のバランスはどうかなど、本当に細かいところまで調査したんです。
全部で9440丁もの三線を調べて、その中から特に良い362丁を選びました。
内訳を見ると、ハワイが232丁と一番多くて、次が沖縄本島の85丁。大阪方面が38丁、東京方面が5丁、ロサンゼルスが2丁でした。
この記録は『琉球三味線宝鑑』という本にまとめられています。
この調査が残してくれたもの
この時代に9440丁の三線を調べ上げ、その詳細な記録を残せたことは、沖縄音楽の歴史の中でもとても大切な財産です。
移民の方々とともにどんな三線が渡り、誰に受け継がれていったのか、その由緒や来歴まで。この記録は、そんな三線の歩みを今に伝えています。
人々の三線への思い入れはとても強く、見せていただくことすら簡単ではなかったと思います。
しかし、古典音楽の大家として信頼されていた池宮先生だからこそ、これほど多くの方々が協力してくださったのでしょう。
私も三線を教える者として、この貴重な記録から多くを学ばせていただいています。
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